本人達が楽しけりゃそれでいい。
Rikaです。 他人に迷惑かけてないなら、別にいんじゃね?とか思いながら過ごしたここ数日。 まぁ、人それぞれ趣味趣向はあるし、変に突っ突く趣味もないんで、それ以上何も言わんけどね。 さて、私も今日の午後からGWに入ったわけです。 午前中は、会社の裏でずっと牡蠣とホタテを袋詰めしてました。 ずっと中腰で作業してたから、腰が痛い痛い。 ゲームやってても痛い。 っつか、歩き方が婆さんみたいになってましたよ。 別にいいけどな(笑) 今日は会社の安全大会で、支店の支店長とかも来てた。 相変わらずヤクザよりヤクザらしい顔して、見慣れない人から見れば恐くて仕方ないだろうな~とか思ってみてたよ。 数年前、当時の支店にいた事務員の人と、支店長と、本社から出張に行った人。 3人がススキノを歩いていたら、通行人が皆道を開けていたという情報もある。 冗談だろうと最初は笑っていたが、その時の事務員の人と、出張に行ってた本社の人、双方が同じ事を言っていたので、多分実話だ。 あと部長も、支店長が営業で他者の人に笑いかけながら話しているのを見ると「笑顔で脅している悪徳業者のようだ」と言っていた覚えがある。 うん。 まぁ、確かに私も、支店長が暗い夜道を歩いてきたらビビると思う。 しかしその支店長、今は70才を過ぎて良いお年頃。 まぁ、そのお顔に刻まれた、皺という名の年輪が、余計顔を恐くさせている。 そんでもって、ご本人も顔を恐がられるのを知っているようで、本社から出張に行った別の人にこう行ったそうだ。 「顔は恐いけど、中身は恐くないからね」 その一言が逆に恐怖を感じされると、あの方は気づいていないのだろうか・・・。 私も初めてお会いした時、納得してしまったがね。 当時の支店の事務員さんは、若くて綺麗な人だった。 支店長と一緒に、本社に顔を出しに来たのだか、皆二人の姿を見て「ヤクザとその女」と思ってしまった。 申し訳ないと思ってしまったのだが、支店長達が帰って数日後、専務が私が思った事と同じコメントを発してくれた。 そして、その時事務所にいた皆は、全員頷いた。 気持ちは一つになっていたらしい。 そんな恐い顔の支店長だが、慣れるとさほど恐いとも思わなくなる。 私など、あまり会う機会は無いが、「可愛い」とすら思えるぐらいに慣れた。 で、そんな支店長が今年もやってきたわけだ。 普通に御持て成しして(つっても、コーヒー出しただけだが)、飛行機の時間があるとの事で支店長がお帰りになられたときである。 鞄を車に積んで、「お疲れ様でした~」と笑顔でお送りしようとしたのだが・・・ 支店長「ちょっと待ちなさい」 Rika「?何です?」 ポケットをまさぐった支店長。 首をかしげる私に手渡された物は・・・・・飴玉。 しかも、ANAの機内で貰えるやつ。 ・・・・・・。 ・・・・・・。 私は2×才だー!! 子供か・・・!!orz いや、支店長の年から考えると、孫ぐらいだろうけど・・・ うん、ビックリしたけど、まぁ、嬉しかったんで、喜んでもらいましたけどね・・・ Rika「あ、ありがとうございます」 支店長「おう、じゃぁな!」 何か満足気な支店長は、苦笑いする課長さんの車に乗って、帰ってゆきました。 私の中に、微妙なやりきれなさが残して・・・・。 |
道産子バトンの歩くスキーの質問で思い出した。
北海道の小学校は、冬の体育の時間に歩くスキーをする所がある。 私の通っていた小学校もその一つで、小学校1年から6年まで、毎冬校庭をひたすら滑って歩いていた。 いや、1年時は、5歳にして「そんなカッタリィ事やってられるか。寒い」と、仮病使ってサボっていたが。 2年からは真面目にやっていた。 私が通っていた小学校は、田舎にあるため校舎も校庭も山の上にある。 と言っても、別に山道を通学するわけではないので、高台の上をイメージしていただければいいかもしれない。 周りは山だが。 小学校4年生の頃だろうか。学校から7分ぐらい歩いた所に小さなダムが出来た。 ダムと言っても、少し川の水をせき止めて、大雨の時に備えるような簡素なものだ。 水深は1mあれば良い方だろう。 その工事により、ダムがある場所の近くの木々が少し無くなり、ダムへ向かって長い傾斜が出来た。 先生は、それに目をつけた。 いつも平坦な場所を歩いているのは可哀想・・・と思えば生徒思いの良い先生だが、多分半分ぐらいは、先生も同じ平地をグルグルしているのに嫌気が差したのだろう。 ダムへは学校の前の道路から歩いて10分程だが、校舎裏の山に登り、獣道を行けば5分もかからない。 授業の場所は、ダム近くの傾斜に移った。 その前からも、学校の裏山の斜面を滑るという時間は与えられていたが、一時間ずっと斜面を滑れることなんて滅多になかった。 皆大はしゃぎ。私も大はしゃぎ。先生は、落ち着いついているように見えて、いつもより早足。 ダムに着いた。 準備運動は学校でしていたので、みんなすぐに滑り出す。 勿論、スピードを緩めるVの字滑りなどの、ちゃんとした内容もやる。 しかし、やっぱり皆思いっきり滑りたい。ある程度の内容をこなせば、後は先生の許可の元皆好きなように滑っていた。 5年生の時の担任の先生は、4年生の時の先生を師と仰ぐ程に尊敬していた。 その影響で、5年生の時も例のダムで滑る事になり、私達はまた獣道を越えた。 ある日、私達はいつものように先生と共に獣道を越えてダムの傾斜に着いた。 降り積もった雪に彩られた山々は、見慣れているとはいえ自然の美しさで私達の心を癒してくれる。 冬の澄んだ空には白い太陽が輝き、縁に薄い氷を張ったダムの水が、森から吹く穏やかな風に波紋を立てていた。 先生の号令と共に、生徒達は傾斜を滑り始める。 きゃっきゃと声を上げ、時にはプルプル震えながら、皆思い思いに自然と戯れた。 私はスキーがべらぼうにヘタクソだったので、常にプルプルガタガタゴロゴロ滑っていた。 授業も中盤に差し掛かった頃、私は少し雪の上に座り、楽しそうな皆を眺めながら休憩をとっていた。 サボリではない。 休憩する私に気付いた友人の何人かも、疲れを感じて同じく休憩を始める。 先生は、楽しそうな生徒を見てご満悦。 その時、傾斜を順調に滑っていたT君と、その友人の叫び声が坂の下から聞こえた。 T君「うわぁああああ!」 女子「きゃあぁああ!」 男子「Tー!!!!」 バシャーン!! T君が 水深30cmのダムに 落ちた。 T君「冷てぇえ!!!」 女子「ギャハハハハ!!びしょびしょだー!」 男子「ギャハハハハ!!馬鹿じゃねーのN!大丈夫かー?」 落ちる直前の悲鳴が嘘のように、皆笑い始める。 休憩していた私を含む友人も、眺めて軽く笑うだけ。 T君の傍にいなかった友人達は、気にせず滑り続ける。 本気で心配する人は、誰一人いないっぽい。 何しろT君は、過去にも漁港で遊んでいて海に落ち、漁師のオジサンに助けられたという経歴を持っている。 その時の事は、皆に漁港で遊ぶ時の注意を促すと共に、笑い話として生徒の記憶に深く刻み込まれた。 つまり、T君が水に落ちる=笑い話なのである。 先生だけは配して、慌てて坂を下っていった。 だが、着く頃にはT君も水からあがり、もう一度坂を上ろうとしている所だった。 学習能力が無いのではない。田舎の子供は逞しいのである。 幸い、スキーウェア(その頃はヤッケって言ってたね)だったので、中の服までは濡れなかったっぽい。 その後先生は、皆にも落ちないように注意し、また授業を再開した。 私も水には注意しようと思い、また滑り始める。 友人達も同じように注意し、坂を滑り始めた。 しかし、その後T君に影響されたのかそうでないのか、水にスキーの先っちょを突っ込む生徒が続出。 靴まで水に入る前に、皆転んで止るので、T君程の被害を受ける生徒はいなかった。 そして私も、スキーの先っちょまで水に突っ込んだ中の一人である。 別にふざけたわけではない。 尻餅をついて転んで止ろうとしたが、尻まで滑ってしまっただけだ。 その次の授業からは、ダムへ行く回数は減り、代わりに学校裏の坂道を滑る事になった。 体育館の窓から見える坂道。 図書室の窓から見える坂道。 だいたい校舎の屋上あたりの高さがある。 傾斜は「Z」の上の棒をなくしたぐらいに、急。 主に低学年がソリで滑るのだが、高学年の私達は歩くスキーで滑る事になった。 ゲレンデ用のスキーじゃない。歩くスキーのスキー板で。 案の定、転ぶ人続出。 私は何度も横の崖から転がり落ちた。 それでも先生は、入水されるよりはマシと思ったのか、そこでの授業は多くなったが・・・生徒にしてみれば、入水した方がマシだった。 |
Rika 4歳の悲劇- 女の子でよかったネv
交通事故 ウガッハー!!(意味無) せば、久々にまた一つ私の昔話をしよう。 そう、あれは忘れもしない春の日だった。 その頃小学校になった私の3姉は、ようやく補助輪付きの自転車に乗れるようになていた。 まだ三輪車がせいぜいだった私からみれば、補助付きといえど自転車は大きなもの。 それをブイブイ乗り回す姉がとても羨ましかった。 |
Rika 3歳の驚き- 幼児は見た!
蛇 この世にヘビが本当にいるのだと知ったのは3歳の頃だった。 その頃まだ健在だった祖母と共に、私は畑仕事を見に行っていた。 農具をしまう納屋の横に、肥料となる生ゴミを捨てる山があった。 そこを二人で眺めていた時、祖母の動きが一瞬止まった。 何があるのか、よく見ればそこにはデカイヘビ。 驚く私と祖母。 当時既にこの世を去った祖父が助けてくれる訳が無く いや、助けたくても助けられんって。 助けたらそれはそれで面白いけどさ・・・。 便りのつなである父も仕事でいない。 祖母は慌てて向かいの家に住むおじいさんをつれてきた。 これがまたパワフルなんだ。 |
Rika 1歳の抵抗-超赤子現る |
Rika 2歳の決意-私は今を生きる
節分 チョコレート会社の宣伝に押され、影の薄くなってしまった2月の行事。 日本古来の伝統である災厄予防の呪い節分。 古き時代に人々を脅かす鬼に焼いた豆をぶつけ撃退したのが発祥という 日本人ならばら誰もが知っている行事である。 2月5日。 家々では豆を買い、その年の安泰を祈りながら 「鬼は外・福は内」といって豆を投げる。 我が家もその中の一つ。 幼少の頃はよく家族で豆まきをしたものだ。 |
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