ショックだった もう自分は立ち直れないんじゃないかと そんなことを考えながら、ハンドルを握る手に力を込めた <h1>-椅子事件-</h1> 午後5時。 定時で仕事を終えた私は、寄り道する事もなく、まっすぐ帰宅した。 帰宅一番に、部屋のストーブとPCの電源を入れるのは既に癖になっている。 冷え切った自室が暖まるまで風呂の掃除で時間を潰し、適度に温まった部屋に入ると、私はコートを脱ぎ捨て、PCの前に座り込んだ。 相変わらず寒さに弱い私のPCは、奇妙な音を立て、仕方なく一度電源を切る。 喉の渇きに台所に向かった私は、コップ一杯の水を飲み干すと、すぐさま部屋に戻った。 暗くなった画面に目をやりながら、電源ボタンに手を伸ばしつつ、7年以上使っている木製の椅子に腰掛ける。 が バキ 左尻の下から、亀裂の入るよるな不可解な音が響いた。 静かに起動し始めたPCなど気にする余裕もなく、私は静かに腰を上げて椅子を傾ける。 丁度金具の部分に入った亀裂に、折りたたみの椅子を開閉しながらその様子を見てみると、3つついているはずの螺子のうち、2本が外れかかっていた。 螺子を入れなおせば、復活できるだろうか。 そんな期待をしながら状態を確認する私の瞳には、認めたくはない大きな亀裂が映っていた。 長く大きな溝が、再起不能であると無言のまま語る。 このまま使えば大破は免れない。 下手をすれば、折れた木片で尻が3つに割れる事だってあるかもしれないのだ。 そんな事があってたまるか。 この世に存在する あらゆるものに平等に与えられる滅びが こんな時 こんなに早くに こんな形で訪れるなんて思ってもみなかった もはや笑い話にしかならない ため息と共に見上げた時計は5:45という時間を指している。 持ち合わせは少ない。 銀行で現金を引き出し、新しい椅子を買いに行くにはギリギリの時間だろう。 放心している時間など、数秒だった。 すぐさまエンジンスターターをかけると、脱いだばかりのコートを掴み、私は部屋を後にした。 温んだ陽気に降った季節外れの雨の中、凍結前の道路を走る。 幾分かの余裕を持って銀行で現金を引き出し、帰宅ラッシュの過ぎた夜道でハンドルを握った。 中学の頃、半ば強引にダイニングから強奪した椅子。 学習机から、PC机に場所を変え、長い間私の尻の下にあった彼が、こんな最後を迎えたのだ。 大きな亀裂は私と過ごした日々を刻んだのか それとも 私の心の傷なのか どちらにせよ、あの瞬間、私の中のあらゆるものにヒビが入った事は変わりない。 体重、大目に見ても52kgぐらいなのに 女としてのプライドはズタズタである。 椅子は、よっぽどのことがない限り、7年程度では壊れないのに 私の自尊心は酷く傷ついた。 新しい椅子、どうせならガスチェァーを買うつもりだったけど、バレンタインの出費でかなりイタイのに 私の財布の中は散々だ。 この悲しみをどう表現したら良いのだろう この視界を薄く曇らせるのは 決して感動の涙じゃない ある意味感動だが 間違っても嬉しい感動では無い 数十分後、目的のガスチェアーを手に入れた私は、帰宅直後に壊れている椅子を外へ追いやった。 部屋で黙々と組み立て作業を始めながら、肘付を買ったばかりに椅子の上で胡坐をかけない事に少々ショックを受けつつ 7年間の共に別れを告げた。 さらば友よ せめて、もっと優しい方法で壊れて欲しかった。 破壊音は少し小さめに、外れる螺子は1本までにしろ。 PR |
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